あなたは「日本百名山」を読んだことがありますか? あの魅力的な山々の描写、そして山への深い愛情に心を惹かれた方も多いのではないでしょうか。今回は、その著者である深田久弥が生まれ育った場所、加賀市大聖寺で深田久弥ゆかりの地を巡りながら、登山家のGPSアートを制作します。
イベントの様子

今回は翌週に開催される加賀シーサイドトレイルトレイルランのコースごみ清掃(大聖寺片野海岸)とあわせて参加者を募りました。
皆さんの協力でたくさんのゴミを拾うことができました。
参加された方、ほんとお疲れ様でした!

それでは深田久弥お絵かき登山の様子をリポートしたいと思います。
深田久弥 山の文化館


深田久弥 山の文化館は、加賀市にある『日本百名山』著者・深田久弥の業績を顕彰する施設です。
明治期の絹織物工場を修築した建物は国の登録有形文化財。遺品や原稿、写真、山岳関係資料を展示し、深田文学や山の文化を紹介しています。
今回はここを登山口に出発いたします。
深田久弥 生誕地の碑


深田久弥は1903年、加賀市大聖寺の紙問屋「深田屋」に生まれました。生家は1934年の大火で焼失しましたが、跡地に現在の建物が建てられ、「深田屋」の表札と生誕の地を示す碑が残っています。
近くには大聖寺を象徴する建物、時鐘堂があります。藩の初代藩主、前田利治が寛永12年(1635年)に建立したと伝わる時鐘堂は、時を告げるだけでなく、城下の人々に火災を知らせる重要な役割も担っていました。現在も大聖寺の歴史を静かに見守っています。
錦城山登山


錦城山は深田久弥が幼い頃から親しんだ山で、故郷の象徴であり、文学や登山への原点とも言える存在です。
晩年には錦城山岳会を結成し、地域の人々と山登りを楽しむなど、生涯を通じて錦城山との関わりを大切にしました。『日本百名山』発刊50周年を記念する碑が建立され、故郷の山を愛した深田久弥の功績を偲ぶことができます。
深田久弥の墓(本光寺)


深田久弥の墓は、山ノ下寺院群にある本光寺に静かに佇んでいます。
墓碑には、深田久弥が生涯大切にした言葉「読み 歩き 書いた 妻 志げ子」と刻まれており、これは敬愛するスタンダールの墓碑銘「書いた、愛した、生きた」に倣ったものです。彼の文学と山への情熱、そして知的な探求心を象徴する言葉として、多くの人々がこの墓碑を訪れ、その足跡を偲んでいます。
深田久弥の句碑(全昌寺)
芭深田久弥は、若い時から俳句に親しみ、戦後の郷里大聖寺時代には、「はつしほ句会」を興し、亡くなる直前まで月例句会の選者を務めていました。全昌寺には久弥の句碑があります。

深田久弥 歌碑(江沼神社)
江沼神社の境内には、見開きの本のページを模したユニークな意匠の歌碑があります。陶板には、深田久弥の歌「山の茜を顧みて 一つの山を終りけり 何の俘のわが心 早も急かるる次の山」が刻まれています。

おつかれ山でした
