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【石川県かほく市】6/11(日) 西田幾多郎GPSアート(いしかわ百万石文化祭応援事業)

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かほく市が生んだ日本近代哲学の偉人、西田幾多郎のルーツを探るアートラン

かほく市役所をスタートし、西田幾多郎の母校〜西田幾多郎哲学館〜哲学の小径〜西田幾多郎生い立ちの地〜哲学の道〜西田幾多郎誕生の地〜西田幾多郎の墓を巡ると、かほく市に哲学の象徴「考える人」の地上絵が浮かび上がります。

西田幾多郎哲学館など、道中で西田幾多郎哲学の文化に触れながら楽しくランニング。
地域の偉人の功績とかほく市の良いとこを再発見しましょう。

目次

開催報告

「諸国漫遊 地上絵巻 西田幾多郎GPSアート」

令和5年6月11日(日) 8:00~11:30

集合場所 かほく市役所
参加費 無料

参加人数 18名

主催 ほくりくGPSアート部・はせがわクリニック
後援 かほく市

申し込み モシコム

宇野気小学校

宇野気小学校

「自分が通ってた時はこの銅像に一礼してから校舎に入ったものです🤣今なら絶対にさせないでしょうね💦

ここの小学校のOBからのコメントです。
それだけ西田幾多郎愛が強かったんでしょうね。

昭和から平成、令和へ。
地域の偉人を子供たちに語り継いでいくのに、GPSアートの活用はいかがでしょうか?( *´艸`)

西田幾多郎先生の直筆「無(む)」。「す」ではありません。
校舎の壁面に描かれるなんて、畏敬の念がこもってますね。

無の境地とはよく言いますが、西田幾多郎先生の「絶対無」はもっと深い世界みたいです。

絶対無とは

日本語は西洋の言語と違い、述語を重んじる言語。例えば…

西洋人

I am happy!

日本人

幸せだな〜

西田幾多郎の哲学はその述語が重要な役割を果しているとのこと。

ほくりくGPSアート部

私は石川県民である。

私(主語)は石川県民(述語)の集合体に含まれる。更に…

ほくりくGPSアート部

石川県民は日本人である、日本人は人類である、人類は哺乳類である、哺乳類は生物である 。。。

述語をどんどん広げていった先に最終的に全ての述語を含む無限大の述語に到達します。
世界にある全てのものは、絶対無の場所に包まれ、絶対無の場所の上に成立していると西田幾多郎は考えました。

人間は生き生きした現実世界を実感するために、意識を磨いていきます。勉強、仕事、趣味、スポーツ…やがて自分自身やっていることが正しいのだろうか?と省みることがやってきます。そして私は完全ではない。悪なのかもしれないと気づくのです。

けれどもその迷える心はやがて全てを包み込む絶対無の場所に出会うはずだと西田幾多郎は言いました。

個物は〜であるという述語が集まってできています。

石川さん

「石川県民である」「男である」「GPSアーティストである」

私を含めた個物、つまり主語は実体を欠いているのです。
すべての述語を内包している絶対無を体験できれば自分も無であることを実感できます。

西田哲学、理解できましたか?( *´艸`)

哲学探しのお絵かきランに出発

内日角地下道

地下道には子ども達が描いた壁画が。
西田幾多郎もいっぱい描かれておりました。

八幡社

神社に二宮金次郎がいました。

働きながら勉強する子供の姿が、今の時代の教育にそぐわなくなってきたから学校から移設した説もありましたが真偽はわからなかったです。

宗教と哲学の違い

宗教は、絶対的価値を持つ神・教祖・教義を信じる事によって真理に近づこうとし、哲学は、様々な事象を材料に、自分の頭で試行錯誤しながら考える事によって真理に近づこうとする。

なるほど~。あんまり深く考えたことなかった。

西田幾多郎哲学記念館

安藤忠雄建築

世界的建築家 安藤忠雄さんが設計したこの建物、「考えること」をテーマに作られています。
今回、学芸員の方にも開設していただき、はじめて展示室も見学できました。哲学の世界は深いですね。
ちなみに展示室以外は館内は無料で自由に出入りできます。西田幾多郎哲学館は観光施設ではなく交流施設、何となくわかりました。

考える人ポーズ

最上階の展望台で考える人ポーズ。

白尾

かほく市は坂ばかり

海岸段丘地のため坂を上ったり下りたり。
今回のコース、距離は短いですが意外とハードです。

西田幾多郎先生の頭頂部は海岸線で描きます。気分が上がりますね~

hasu TEA

スリランカ産紅茶とワッフルのお店

ほかほかのレモンワッフルをいただきました。
とっても美味かったです。
7月からスリランカカレーも味わえるそうです。
また行かなくちゃ!

宇野気駅

西田幾多郎博士像

宇野気駅前にはやはり西田幾多郎先生が立っておりました。

哲学の小径

考える人(ロダン)

なんとかほく市にもロダン考える人がいた😆
そして今回のお絵かきランのモデルです。

ロダン考える人は、実は「地獄に落ちたものたちを裁判官たちが上から見ている様子を表現したもの」で後に鋳造職人が考える人と名付けたそうな。

哲学の町にかほく市にある考える人は実はあまり考えてはいなかった。もしかしたらこれが絶対無の世界観なのかもしれません。

哲学は深いな~

西田幾多郎生い立ちの地

西田家

西田家は藩政期には加賀藩の大庄屋を務めた由緒ある家柄で、この地では3~13歳の少年時代を過ごしたそうな。

その後、金沢四高(中退)、東京帝国大学に進学、哲学を学ぶことになり、高校の同級生、鈴木大拙の影響で禅に打ち込むようになったそうな。

色んな人がつながって時代を作っているんですね。

哲学の道

哲学の道

哲学の道は京都が有名ですが(京都も西田幾多郎ゆかりです)、かほく市にもあるんですよ。その道沿いには西田幾多郎の短歌が刻まれた銅板の書が立ち並んです。

哲学の書が道の両サイドに立ち並んでいるのがわかるかな?

西田幾多郎生誕の地

長楽寺

明治8年宇野気小学校は、西田幾多郎の父がここ長楽寺の一部を借りて教えたのが始まりだとか。長楽寺は西田家の菩提寺でもあります。

なるほど、西田幾多郎が地元の方々にここまで愛される理由がわかってきました。

西田幾多郎生誕の地

西田幾多郎が生まれてから3歳までこちらに住んでいました。3歳の時に隣家から の類焼にあい,焼失して宇野気駅のほうに引っ越したとのことです。

西田幾多郎先生 墓地

ゴールは西田幾多郎の墓地。誕生から生涯を遂げるまで、お絵かきランで巡ったような気分になりました。

ゴール

ゴルゴルゴール。12㎞のコースではありますが、西田哲学のふかーい世界に没頭できました。
今回のコースはコチラからダウンロードできます。

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